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憲法改正!

日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。

平沢勝栄/著 『日本よ 国家たれ』

国家があり、国民があって憲法がある。この大原則を顧みず、憲法があって国家・国民があるというのでは「憲法栄えて国滅ぶ」でもよい、ということだ。平沢勝栄著『日本よ 国家たれ』(2002年 講談社発行)から憲法問題に関する著者の見解を紹介します。

嘗て慶応大学にて小林節教授と対談した時の内容、
憲法論はザインではなくゾルレンから~平沢勝栄、小林節/対談『憲法、危篤』
を下敷きに、平沢勝栄は次のように述べます。

物事を考えるときに大切なのは、古くからいわれるように「ザイン」と「ゾレン」の視点である。ザインとは「現在こうある」という現状の認識。対して、ゾレンとは「今後こうあるべき」という将来への意思である。

人が将来の目標や希望を持って生きていくのと同じように、国家運営も将来かくあるべきという視点から出発するのが基本だ。ザインではなくゾレンからスタートし、なすべきことをなす、大事なことはゾレンの視点である。

今の日本では、このザインとゾレンが逆転し、現状を守るために将来を潰すようなおかしな事態がまかり通っている。その最たるものが「日本国憲法」である。

国家があり、国民があって憲法がある。この大原則を顧みず、憲法があって国家・国民があると考える人のなんと多いことか。彼らにとっては現行憲法がすべてであり、それが時代にあっていようがいまいが、そのためにどのような問題が起ころうが、まったくお構いなし。端的にいえば「憲法栄えて国滅ぶ」でもよい、というわけだ。

戦後・憲法が制定されて以来、「護憲=平和」 「改憲=好戦」という図式が定着して今日に至ったことは、日本の不幸であった。

憲法改正を口にすることはタブーであり、これまでも多くの政治家が改憲問題に言及しただけで理不尽なバッシングを受けた。憲法改正を口にしたら即座に大臣が更迭。つい最近まで、憲法をめぐるそんな暗黒の時代が長くつづいていたのである。

それゆえ、1946(昭和21)年11月3日に交付されて以来、じつに50余念間、一行一句の修正もなされていない。世界的に見ても非常に稀有なことである。

これは「憲法改正=第九条」とそこばかりクローズアップされてしまった点にも問題がある。だが、憲法は第九条だけではない。

憲法は、国家としての基本姿勢を表したものであり、さまざまな法律や条令はこれに基づいてつくられている。

慶応大学の小林節教授は、「政治とは、憲法という切り札を使って、国家というサービス期間を動かし、国民に幸福をもたらすこと」と語っている。つまり、「日本はこうあるべき」というゾレンから日本の姿を考えたとき、それは単に法律だけでなく、その根幹をなす憲法のあり方に通ずるのである。

靖国参拝は憲法違反」 「集団的自衛権の行使は憲法違反」といった意見に代表されるように、現行憲法は時代の変化に合わず、あちこちに綻びが生じている。

問題は、「憲法違反かどうか」ではない。それらが日本という国家および国民にとって望ましいか否かである。「はじめに憲法ありき」の考えは捨てるべきだ。

もし現状と憲法が乖離している事実があり、あるいは憲法の規定が国家・国民のためにならないと判断したら、憲法を改正すべきである。これは国家として当然のことである。

首相の靖国参拝反対派は「憲法で禁止しているから」反対しているのではなく、反対したいから「参拝が現行憲法の政教分離に抵触する疑いがある」と、憲法を持ち出しているに過ぎません。

仮に首相の靖国参拝が違憲の疑いありとするならば、疑いようもなく合憲であるとわかるように憲法を改正すればよいのです。「違憲だから反対」というのであれば、それで文句は無いはずです。

首相の参拝が合憲となったからといって、首相に参拝義務が生じるわけではありません。参拝したくなければ堂々と参拝拒否すればよいし、参拝したければすればよいのです。それを国民が判断し、国民の声を次の選挙に反映させる。それが民主主義というものです。

首相の靖国参拝は選択の問題であり、憲法問題にしてはなりません。参拝問題も第九条問題も、否定派が民主主義的な解決法で勝てないから、『不磨の大典憲法』という『お上』に訴えるのです。こんな政治制度と権威主義の国民気質では日本に民主主義が根付きません。

即刻憲法改正を。憲法という『お上』に頼らず、論争を通じて選挙で決着をつける社会へ日本は大転換すべきです。憲法という権威に頼って民主主義を否定したいのが護憲運動化の特徴です。

もはや時代遅れの”押しつけ憲法”

憲法は国家の根幹である。しかし、そのスタート時点からの歪みが現在まで大きく影を落としている。

終戦後、GHQ(連合国軍総司令官)の占領下で、日本国憲法が制定されたいきさつは、すでに多くの人が知っていることと思う。わが国の憲法は、アメリカの占領政策に合致するかたち、すなわち、再び軍国主義国家にならないよう日本を徹底的に弱体化するためにつくられた。

マッカーサーから支持を受けた幣原喜重郎は、当初、独自の憲法草案をつくっていた。しかし、この日本案をGHQはNOと蹴飛ばした。変わりにアメリカがわずか一週間そこそこでつくり上げた憲法草案を日本側が受け入れて、制定されたのが現在の憲法である。

占領下にあった日本は、GHQの支持に逆らうことができず、与えられた憲法に対して何もいえなかった。しかし、日本が講和条約を結び主権国として独立を回復したら、与えられた憲法ではなく、独自の憲法をつくるだろうとアメリカは考えていたようだ。当時、日本の憲法制定にたずさわった人々の証言である。

現実派、サンフランシスコ講和条約を締結し、やっと占領軍から開放された吉田茂首相の時代も、日本は新しい憲法をつくらず、そのまま今日まできてしまった。

この50余年間で、社会は大きく変化した。現在のわれわれを取り巻く状況は、当時とはまったく異なっている。人権などをめぐる国民の意識も大きく変わってきたのに、憲法だけは変化なし。そのために、矛盾点、問題点がさまざまなかたちで噴出している。一言でいって、時代に合わない憲法である。

占領下で武装解除され、占領軍の軍隊が日本を守っている時に、後先考えずに適当に、連合軍のご機嫌伺いよろしくつくった憲法が現在に通用するはずがありません。即刻改正しましょう。

訓古学にすぎない日本の憲法学

これまでの日本では「憲法改正=好戦」という考え方が幅をきかせていたため、政治家が改正に積極的に取り組めなかったことはたしかだ。岸信介内閣での憲法改正への取り組みも、反対派の平和を守る運動と証する護憲運動によって消されてしまった。

そして日本の憲法学者も、憲法がまず存在することを前提にしてその解釈に終始してきたのである。

私はアメリカの大学で、アメリカの憲法(コンスティテューショナル・ロー)について学んだ。アメリカの憲法の授業は、現在のわれわれの憲法はこうなっているが、どこがおかしいか、おかしければどこをどう改正したらよいか、という議論からはじまる。非常に実務的な考え方に基づいた授業だった。

一方、私が東京大学時代に学んだ日本の憲法では、憲法は「不磨の大典」であり、これは絶対改正してはいけないという立場からスタートした。それゆえ、憲法を変えずに憲法の一字一句はどういう意味か、という解釈ばかりになる。完璧に”訓古学”と化していた。

大学の授業は、第九条はこういう解釈だ、第十条はこう解釈するという解釈の講義ばかり。解釈が同じならまだよいが、人によってまるで違ってくる。A説、B説、宮沢(俊義)説、芦部(信喜)説といろいろな説が乱立し、それぞれの学者が青筋を立てて「われこそは正論なり」と主張するさまは噴飯ものである。

憲法があって国があるのではない。国があって憲法があるのだ。どういうかたちの国をつくるべきか。その望ましい国をつくるために、憲法はどういう憲法であるべきか。そのためには現行憲法をどのように改正したらよいか。これを大学の授業でやるのが当然ではないか。

訓古学と化した授業だったらやめたほうがいい。現実にはまるで役に立たない学問であり、憲法学の意味はない。学問とは現実の制約を受けず、思索の翼で自由に飛びまわってこそ意味があるのに、学者が率先して学生を小さな世界に閉じ込めている。大学のなかでだけ通じる古い教えを、金科玉条のように奉じているだけである。こんな馬鹿な授業をずっとやっているから、日本はだめになってしまうのだ。

だいいち、拡大解釈とまでいわれるものが出てくること自体、憲法と社会がズレてきていることの証である。憲法と現実が合致していれば、そんな解釈が生まれるはずがない。普通に考えれば、何が何でも遵守しようとする姿勢のほうがおかしい。実際、憲法にも「憲法改正」を定めた第九十六条が存在するのだから、改憲が禁じられているわけではないのである。

いまでは小林教授のような実学を目指す学者もいるが、それはごく一部である。ほとんどの日本の憲法学は、こうした解釈ばかりを長年にわたりつづけてきた。

今日の日本は、国家の尊厳や愛国心を忘れた情けない国になってしまった。その”A級戦犯”が一部の政治家であることはいうまでもないが、同時に一部官僚、マスコミ、そして日教組にも責任があるだろう。しかし、憲法学者と称して教鞭をとった多くの憲法学者にもその責があることを忘れてはならない。

憲法改正!

日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。

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