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日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。
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憲法9条を改正しなければならない理由として石破茂 元防衛庁長官が嘗て早稲田大学で学生に向かって語ったこと。『田原総一郎 激論! 日本の憲法と経済』(ダイヤモンド社 2006年)より引用紹介します。
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自衛隊は、見た目は軍隊です。1機100億円のF15戦闘機を日本は200機持っています。1隻1200億円のイージス艦。これを4隻持っています。
こんなものは日本とアメリカくらいしか持っていない。あるいは90式戦車。1両10億円もします。今はだいぶ下がって8億円ぐらいになったかな。これも持っている。
自衛隊は、誰が見ても軍隊です。だけれども、自衛隊の前身は何ですか。警察予備隊ですね。基本的には、警察というものの組織、警察というものの権限、それを引きずったまま今の自衛隊はあるわけです。
警察と軍隊は何が違うかといいますと、第一に目的が全然違う。軍隊というのは、国の独立を守るのが主な目的です。警察は、国民の生命・財産、公共の秩序を守るのが主な目的であります。
二番目は、警察は対内的作用です。警察権というのは国内の作用なんです。しかし、軍隊がベースとしております自衛権というのは、対外的作用なんですね。外へ向かう力なんです。
国内に向かう力である警察権と、外へ向かう自衛権というのは、国家権力の使い方がまったく違う。これが違いの第二点目。
違いの第三点目は、個人を単位として動くのが警察です。機動隊という例外もありますが、部隊・集団として動くのが、軍隊です。これも明らかに違う。
巡査さんが制服を着て外を歩いていますね。それは一人であっても、どんな巡査さんになりたての若い人であっても、それは警察という権力が動いている。
しかしながら、今自衛官の最高位、一番位の高い人は統合幕僚会議議長といいますが、この人がどんなに星(階級章)をたくさん付けて、きらびやかな制服をまとって、そこらを歩いていても、それは自衛隊が動いているとはいわないんです。
どんなに高い位の人が歩いていても、それは部隊で動いていませんから、自衛権という国家権力が作用しているわけではないのです。
したがって法律の書き方は、警察法は個人を単位にして書かれています。「警察官は○○することができる」という、個人を単位にして警察法というのはできています。
それでは自衛隊法は何を基準にして書かれているか。全部個人を基準にして書いてあるんですよ。「自衛官は○○することができる」と、個人を単位として書いてあるんです。
そんなものが軍隊であるはずないじゃないですか。個人を基準にして動くのが警察。部隊を単位にして動くのが軍隊。だけど、権限法において、行使する権限を定めた法律において、すべて個人を単位にして書かれている。
だから、たとえばイージス艦がミサイルを発射する。これも個人を単位に書かれている。そんなことがあるわけないじゃないですか。
イージス艦がミサイルを発射するのは、組織体としてのイージス艦が発射するわけでしょう。艦長の下にずっと指揮命令系統があって、個人が個人の判断で撃つものじゃないですよ。撃っていいものでもない。
しかしながら、それが個人をベースに書かれている。自衛隊が軍隊でないゆえんの一つです。したがって、今の自衛隊は、見た目は軍隊だが、軍隊ではない。基本的には警察の大型版であるということを申し上げているわけです。
このように、「今の自衛隊を自衛軍に名前を変えればいいじゃないか」という簡単な問題ではありません。軍とは何かということを突き詰めて考えなければならない。
「実質は軍だから自衛軍でいいじゃん」というような軽いノリでは困ります。私は、そんな軽いノリで憲法改正してもらいたいとはまったく思っていない。
「そういうものですが、よろしいですか」ということを聞いて、それでもいいのだというなら、この改正案に賛成してもらいたい。
無理やりに警察権をベースにした自衛隊法を制定し、自衛隊法に基づく行動をとらねばならないということで自衛官個々は、とんでもない負担をかけられています。
「いまのままでも問題なさそうだから憲法改正する必要なし」と考えている人々に訴えたい。今のままでも問題ないように見えるのは、自衛官の無理な負担にわれわれ国民がただ乗りしているからだということを。
日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。
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