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憲法改正!

日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。

桜田義孝/著 『元気だそう 日本 !桜田義孝の日本国改造私案 』

初代外務大臣政務官、桜田義孝衆議院議員の著書『元気だそう 日本 !桜田義孝の日本国改造私案 』から憲法改正の声を紹介します。

1 憲法改正は喫緊の課題である

この国の具体的な「かたち」と「こころ」を議論する最初に、やはり「憲法改正問題」を取り上げなければなりません。はじめに申し上げておけば、私は、憲法改正論者であります。先の選挙でもこのことは、明確に述べてきたつもりです。

憲法改正というと、戦後、決まって右翼的だとか、国家主義者だとか、何を考えているのだとか言われてきました。しかし、こうした現行憲法への執着こそ異常であり、偏執狂的ですらあります。

一体世界で、憲法というものを一切変えない国がどこにあるというのでしょう。

憲法とは国の土台です。基本的人権や国会、行政、裁判所といった国の仕組み、地方自治の仕組み等、国の「かたち」と「こころ」を作り上げるものであります。ITだなんだと50年前とは全く違う様相を呈しているわが国の現状に照らして、憲法だけが時代を超えて普遍的でなければならないという理由は全くありません。

こうしてみると、何か私が憲法を何が何でも変えたがっているようにみられると思いますが、そのとおりです。私は、何としても憲法を改正したいと思っているのです。それには以下のような理由があるからです。

2 憲法九条は即刻改正すべし

「日本国民は正義と秩序を貴重とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する。前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」

これが戦後最悪の悪文、憲法第九条であります。この文章は今や何をも意味してはおりません。

だって、おかしいではないですか。陸海空軍はあるじゃないですか。自衛隊は誰がどうみても軍隊ではないですか。戦車やミサイルや潜水艦を保有している組織が軍隊ではなくて一体何でしょうか。戦車が単なる乗り物だとでもいうのでしょうか?こういうところに日本人特有の、いい加減さがあります。言葉でごまかそうというのであります。ある意味で、これは犯罪に近いものがあります。

私が言いたいことは、ただひとつ。現実を見よ、ということであります。そこに危機があるのです。北朝鮮だって、今は南北融和などと言っていますが、独裁体制国家であることに何ら変わりはありません。拉致問題も解決していません。中国だって軍事予算を増大させており、内部の民族紛争もたくさんあるのです。

人間社会において、先行きの人間関係がどうなるか、われわれにわからないのと同じように、国際社会の荒波の中で、先行きどこの国とどういう関係になるとかということは、なかなかみえないものなのです。国際社会が絶えず不確実の中にあるということは、世界の常識です。

そうした中で、国の、国民の生命と財産の安全と安心を考えた場合、もっと言えば国の安全保障の問題を真剣に考えた場合に、必要最低限の武力というものは不可欠です。

民主党の水島広子さんという議員は、テレビ朝日のサンデープロジェクトという番組の中で、「非武装中立」ということをさかんに言っていました。評論家の田原総一朗氏がその中で、「攻めて来られたらどうするの」と聞くと、彼女は「仕様がありません」と言っていました。

水島広子プロフィール
1968年生まれ。慶應義塾大学医学部卒業、同大学院終了。医学博士。同大学医学部精神神経科勤務を経て現在は衆議院議員(民主党)。慶應義塾大学医学部客員講師。ジェンダーフリー実現のための著作や公演多し。なお、実父の水島裕は自民党参議院議員、医学薬学博士。プロフィールは『親父の言い分、娘の言い分』(河出書房新社 2001年発行)を参照。

彼女だけが異常なわけではありません。正確に言うと、憲法九条を死守しようとする多くの人々が、多かれ少なかれ彼女と同じ論理を持っているのです。政治家の中にこんな考え方をする人がいるとは、なんとも情けなく恐ろしいことです。同番組ではみんな笑っていましたが、笑い事ではありません。戦後のあいまいな憲法解釈の歴史というものが、憲法改正問題に関する政治家のいい加減な態度というものが、こういう人物を作り出してしまったのです。

周辺諸国の現状を無視した非武装中立論者というのは戦後日本が産み落とした化け物です。

難しく考えることはありません。国民生活の安全を守るために最低限の武力は必要であるということを、しっかりと憲法に明記すべきなのです。たとえば、次のように直したらどうでしょうか?

(憲法第九条改正私案)
1. わが国はかけがえのない国際平和の価値を最大限尊重して、国際平和実現のため諸外国と協力し努力を惜しまないで活動する。
2. そのためかつてのような戦争を自ら引き起こすことをしない。
3. しかしながら、祖国の国民の平和と安全を守るため必要な武力については、引き続きこれを保持できる。

自分の文章の自慢をするわけではありませんが、現行憲法九条より、よほどわかりやすいと思います。

あいまいな文章というのは一見いろいろ解釈ができて都合が良いように思われますが、良いようにも悪いようにも解釈されてしまうという意味で大変問題です。これでは肝心なときに賛成派と反対派が激しい争いをしてしまい、その場での行動の指針とはなりえません。

やはり根本的なところでは、国民の大多数がイメージを持って合意できるように、しっかりと明確にしておかないと国というものが前に進まないのです。国としての尊厳がなくなります。憲法九条のあいまいさを巡る問題は、その悪い例の最たるものだと思います。わが国の安全保障政策の価値というものを、今こそ政治家が勇気をもって固める必要があるのです。

最後に桜田義孝議員の、集団安全保障と集団的自衛権に関する見解の部分を引用します。

現行憲法では集団的自衛権の行使を認めておりません。ですから、わが国はどんな国際的暴虐に対しても同盟国と共同で軍を編成できないわけです。

そもそも私は自衛という概念は孤立したものではないと思っています。自国の安全を守るためには決して孤立してはならず、同盟国との緊密な関係構築が大前提になり、自衛力に乏しいわが国の場合もそういう状況下におかれております。

したがって、同盟国の理解を得て、わが国の安全を確保するためには、米国のような同盟国とできるけ共同歩調をとれるようなかたちに憲法を改正するのは当然です。

集団的自衛は国家にとって当然の権利であり、状況に講じて集団的的自衛権を行使するかどうかを判断し、必要ならば行使することは国家の権利です。

「常備軍のない国」コスタリカでも集団的自衛で自国の安全を確保しようとしています。

日本も嘗て、自国の軍事力が弱かった頃は、(旧)日米安保条約による集団的自衛で国家を守るのだと国会でも繰り返し発言されていました。

また、世界平和に貢献するという意味から、国連安全保障理事会等で明確に人道上非難を浴びるような国家の暴虐に対しては、断固たる意思をもって、必要に応じて国際平和維持活動軍へ参加できるようなかたちにすべく、踏み込んで検討していくべきであります。このために憲法を改正し、集団安全保障への参加を明確に認めることはわが国国民の利益に必ずや、かなうものと確信致しております。

ここでは集団安全保障に関する見解を述べているが、冷戦後の現在では集団的自衛権と集団安全保障の境界が極めて曖昧です。

国連発足当初は、国連の集団安全保障が機能するまでの間の国防手段として集団的自衛権の行使が国に認められたのですが、その後、国連軍が結成される様子もなく、結局は有志国家が集団的自衛権を行使し、国連決議で武力行為に授権するという手続きを持って国連軍の代用にしているのが現実です。

したがって集団的自衛権の行使を認めないで国連の集団安全保障としての軍事行為に参加するということは難しくなっているのです。日本ははっきりと集団的自衛権を行使すると決めたほうが良いのです。そうでなければ、軍事的に「集団安全保障への参加」は事実上不可能となってしまいます。

【外部リンク-「桜田よしたか」と共に日本の明日を考えるWEBサイト~桜田よしたか(衆議院議員・自由民主党)~

憲法改正!

日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。

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