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憲法改正!

日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。

岡田直樹/著 『憲法改正序曲 ドキュメント平成17年』

当時、新人議員でありながらも自民党新憲法起草委員会前文小委員会事務局を務めていた岡田直樹議員が参院憲法調査会で若々しく改憲への希望を語りました。岡田直樹参議院議員著 『憲法改正序曲 ドキュメント平成17年』(北国新聞社 平成18年)から紹介します。

理想は堅持、空想は排除

(p.140~ ) 結論から申せば、現行憲法にうたわれておる国民主権、平和主義、基本的人権といった人類普遍の原理をゆるぎないものとして確かに受け継ぎながら、しかし前文は全面的に書き直すべきであろうと考えております。

第一に、今の前文の平和主義は大変高い理想を掲げた良きものであると思いますが、中には理想を通り越して空想に過ぎない部分もあるのではないかと思うのであります。

憲法九条についても、一項は理想として良いものですが、二項は空想に過ぎない。理想は堅持しながら空想は排除すべしと考えておりますが、自国民の安全と生存を他国の善意に依存し、ゆだねてしまうというのは、いかにも人任せのようであり、どうしても無責任な印象を免れないのであります。

なおかつ世界には到底平和を愛するとは言いがたい国家や勢力が現に存在します。私は平成9年、当時の自社さ連立三党訪朝団に新聞記者として動向し、北朝鮮を取材いたしました。

田(英夫)先生もその訪朝団のメンバーでいらっしゃって、いろいろと教えていただいたものであります。

この時、反日サヨクの田英夫も会議に同席していたらしいのです。どんな顔で岡田直樹議員のスピーチを聞いていたのかと想像すると笑いがこみ上げてきます。引き続き同著より引用します。

翌10年には自民党単独の訪朝団が行きまして、そのときは桜井(新)先生もいらっしゃいました。そのとき、北朝鮮という国が大変な個人崇拝に基づく恐るべき軍事独裁国家である、そして人権侵害国家であることを肌で痛感しまして、自分もそれまで記者としても認識が甘かったことを深く恥じ入ったのであります。

日本人が全体として、拉致という北朝鮮の国家的犯罪、これは日本の主権の侵害であり、すなわち侵略であると思いますが、これを見過ごしてきた。そしてその結果、「自国民の安全と生存」を守ることができなかった。

また、さかのぼって言うならば、戦後の帰国事業において多くの在日朝鮮人や日本人妻たちの渡航、すなわち「地上の楽園」というプロパガンダを信じて多くの人たちが実際には自由も人権もない生き地獄のような国にわたるのを見過ごした。このことについて私たち日本人は多少との自責の念を持たなければならないと思います。

今の前文にこうあります。
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

こううたっておりますが、日本人拉致被害者が味わった恐怖、そしてその安否すらわからない身の上を思うとき、また現にあの将軍様の圧制の下で罪もない北朝鮮人民が恐怖と欠乏にうめいていることに思いを致すとき、日本人はこの憲法の前文をほごにしてきたと言わざるを得ないと思います。

また、裏を返せば、理想的に過ぎて空想的な憲法によっては、この厳しい国際社会の中で国民の安全と生存を確保することは困難であると考えます。

今、戦後60年の歴史も踏まえて、憲法九条とともに前文も見直すときが来たのだと思います。

われわれの安全と生存は、国連や同盟国とともに我々自身で守らねばならないと考えます。

かつての戦争の悲惨さを胸に刻み、二度と他国を侵さないことを改めて誓った上で、もし日本を侵すものがあれば、われわれは断固として自衛する権利と力を有することを内外に明らかにすべきだと私は思います。

さらには、日本国民のみが基本的人権を謳歌して、他国における人権じゅうりんに目をつぶることがあってはならない。

その点で、先ほども挙げた憲法前文
「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
と言い、また
「われらは、いづれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」
と言う、これは至極当然のことでありますが、私はこれでもまだ足りないと思います。

私は、日本人が進んで国際平和と人権擁護に貢献する決意を新しい憲法の前文にうたい上げる必要があると信じます。

もう一つ、前文を書き改めるべき理由を簡単に申し上げると、もはや繰り返すまでもないことですが、これがアメリカの占領軍によって強いられた憲法であるという点であります。

なるほど形式的には帝国議会の審議を経ておりますが、占領軍から示された案の骨格を変えるような自由意志は当時の日本国民には存在しませんでした。

当時、憲法起草に加わったベアテ・シロタさんは、この参議院の憲法調査会においてもこう証言しておられます。

「多分その一週間でつくった憲法はいい憲法だと思います」

しかし、それはマッカーサー元帥もホイットニー准将もあるいはケーディス大佐も同様に、一週間でまずまずの出来栄えの憲法ができたと、こう思っていたのではないかと思います。

たとえ民間人もいたとはいえ、軍人を中心とする少数の外国人の手で、しかも一週間あまりでまとめられた憲法を60年近い間、見直すことがなかったというのは世界的にも珍しく、あまり名誉なこととはいえないように存じます。

今こそ歴史上初めて日本国民が民主的な手続きを踏んで、自由な意思を持って、だれにも強いられることなく憲法を定めるときであり、前文にその歴史的意義をうたうべきだと考えております。

その際、私は前文に日本の自然、歴史、伝統、文化といったものを織り込むことも良いと思いますし、また未来に向かって生きる日本人の指針、たとえば地球環境の保全といったテーマも前文にはふさわしいものだと考えております。

これからも日本国民は様々な苦難に遭遇すると思います。そうしたときに国民が心を一つにして頑張ることのできるような、そんな何か心の応援歌のような、わかりやすく美しい日本語の前文を持ちたい。これが私の念願であります。

理想の1項、空想の2項

(p.180) 憲法九条一項は高らかにうたっている。
「日本国民は、政治と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
この一項は、戦争の惨禍を体験した日本国民の不戦の誓いとして尊いと思う。

戦争放棄と言っても、他国から攻められた場合の自衛戦争まで禁じるものではない。

「国際紛争を解決する手段としては」と限定されていて、この文言は戦前1928年(昭和3年)に当時の主要国が結んだ「パリ不戦条約(ケロッグ・ブリアン条約)に由来し、国益追及の侵略戦争を禁じたものだ。

日本は戦後60年、この九条一項を守ってきた。私はこの平和を求める理想主義は今後とも堅持し、さらに世界に広まるよう努力するべきだと考える。

ただし、続く九条二項となると、これは理想を通り越して空想に近いのではないか。
「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」

・・・・・この九条二項は、日本の安全保障をめぐる不毛な論争の火種となった。・・・・・この九条二項をすっきり改めない限り、実りある安全保障議論は望めないと思う。

繰り返し言えば、九条一項の不戦の誓いは理想として尊いが、二項の戦力不保持は理想を通り越して空想に過ぎない。

理想は堅持しながら空想は排除し、世界の平和と日本の安全を確保する憲法改正を行わねばならないというのが私の基本的な考えである。

憲法改正!

日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。

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