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憲法改正!

日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。

小林節、渡辺昇一/対談 『そろそろ憲法を変えてみようか』

憲法改正は車のモデル・チェンジのように。小林節と渡辺昇一の対談本 『そろそろ憲法を変えてみようか』(2001年)から小林節教授の発言を紹介します。

「まえがき」より部分引用

大東亜戦争の後の昭和24年に生まれた私は、日教組と朝日新聞の全盛期に初等・中等教育を受けて育った。だから、いつの間にか、わが国は世界に比類なき素晴らしい憲法を持っており、万一、その憲法が改正されたならばわが国は再び戦争に巻き込まれる・・・・・という一種の強迫観念を植えつけられていた。

だが、縁あって憲法学者への道を歩みはじめ、改めて真剣に憲法を学びはじめてみたら、(本書の中でさまざまに指摘しているように)日本国憲法は実に不完全なものであることに気づき面食らってしまった。

そこで、日本国憲法制定史を調べてみて、この憲法が戦後の混乱期に急拵えされたもので、不出来で当たり前だと知り、妙に安心してしまった。

その後アメリカへ留学し、国家共同生活の目的は私たち国民が幸福に暮らすことにあり、憲法は、その私たちがいわば道具としての国家を使い熟すためのマニュアルにすぎず、それは状況の変化に対応して使い勝手をよくするために適宜改訂していくべきものだと知らされ、目から鱗が落ちる思いがした。

29歳で帰国し、30歳で大学の教壇に立ち、自分ではそれが常識であると思ういわば「車のモデル・チェンジ」のような憲法改正を主張しはじめた当初は、驚くような反応に直面した。曰く、「軍国主義者」、「何もわかっていない、困ったものだ」、「教授ならぬ狂授だ」、「こんな奴を大学の教壇に立たせておいてはよくない」、「憲法学者がそのようなことを言ってはいけない」等。

しかし、私としては非常識なことや危険なことを言っているつもりはいささかもなかったため、そのような無理解な反応に対して少しむきになってしまったようで、まじめに再反論をしているうちに、51歳の私は自他ともに認める改憲論者になってしまった。

昭和24年生まれの小林教授が30歳の頃ですから、1979年頃です。当時は憲法改正を言うだけで軍国主義者呼ばわりされたのです。では戦争放棄、戦力放棄の条文の無い日本以外の国は全て軍国主義国家だというのでしょうか。

前提として、「如何なる国であろうとも、軍隊を保有するのは軍国主義だ」と主張した上で、「それゆえ日本も軍隊を保有するなら日本も軍国主義国家である」というなら、それはそれで一環した見解であるとは言えるでしょう。

しかし「軍隊を保有するからといって必ずしも軍国主義国家であるとはいわないが、日本が軍隊を保有すると軍国主義国家と看做す」というのは日本憎しの差別感情に過ぎません。この日本人差別を正当化し、美化する装置が日本国憲法であり東京裁判史観なのです。

ゴケン派との対談

小林
・・・・・一番有効なのは、たとえば私や先生が土井たか子や朝日新聞と論争することだと思います。なぜならば、先生の立場で、あるいは私の立場で一方的に彼らの姿勢を批判しても、なかなか国民的合意にまではいたりませんよね。なぜなのか?それは、それぞれ語る人の、いわば客筋が決まっているからでしょう。対立する相手の意見になんて耳を貸そうとしない。聞くとしてもハナから否定しようと思って聞いているわけですから、一致点など見いだせるはずがありません。

ならばむしろ、一度でいいから土井たか子と私がナマで遭遇戦をすればいいと思うのです。先生は先生で相手を指名しましてね、紙上論争ではなくて直接討論をすれば、ガラッと雰囲気が変わりますよ。どちらの言い分に説得力があるか、これはもう明白ですからね。

渡部
なるほど。それは是非やりたいものですね。

小林
実は数年前に一橋大学の学園祭本部が企画して、憲法改正の是非をめぐって私と土井たか子をぶつけようという企画が動いていたことがあるのです。ところが、私が何者なのか調べがついたらしくて、はじめはオーケーしていた土井たか子サイドから「失礼しました。ダブル・ブッキングをしていました」と言ってきて、逃げられてしまいました。

それで変わりにやってきたのが上田哲です。意気揚々とやってきまして、会場でみんなにヤアヤアと挨拶したりしてご機嫌でした。私に対しても最初は「あんた誰?小林?知らんな」という感じでね。ところが、憲法論になると、完璧にこちらが勝ってしまったのです。

なぜ勝ったと言えるかというと、事前に二百人からの聴衆に木札を渡しておいて、論戦のあとに投票してもらったからです。そうしたら憲法改正派の私に75%、護憲派のあちらに20%あまりという結果になった。もう上田哲はショックで、病人のような顔をして挨拶もせずに消えていきました

渡部
上田哲はきっと、「護憲」と言えばどこでももてはやされるという戦後の夢を今でももっているのでしょうね。

小林
土井たか子とは、もう一度論争のチャンスがありました。それは読売が改憲試案を出したときのことですが、読売が社内勉強会をやったのです。私は初日の講師になって、全体のアウトラインを与えたのですが、実は改憲試案がリリースされる前になっていろいろな企画がありまして、その中に、フジテレビで土井たか子と小林節のナマ討論をやるという企画が含まれていたのです。本当に実現してほしかったんですけどね。向こうが「そんなことはできない」といって断ってきたようです。

ゴケン派のシンポジウムは宗教団体の会合か

小林
こんなこともありました。改憲試案を出したあとの憲法記念日に、青年法律家協会が企画したシンポジウムに読売のナベツネさんの腹心と私とが呼ばれて行ったんです。場所は九段会館でしたが、聴衆全員が護憲サイドの動員でね(笑)。パネリストが数人いて、二人だけ隅っこに座らされまして、われわれが何か言うと野次がワッと飛んでくる。

われわれ以外の人の発言になると、話す前から客席に座った女の子が「ふんふん」とうなずいているわけです(笑)。信者集会みたいなものです。信者集会に異端が紛れ込んだという感じでしたね。

同意同意同意

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日本の平和と安全の確保のため、国民が自尊心を持てる為、日本が真の民主主義国家となるために日本国憲法を改正しよう。

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